驚異の精度の日本地図!香取市・伊能忠敬

初めての実測による日本地図「大日本沿海輿地全図(だいにほんえんかいよちぜんず)」、通称「伊能図」を作った人物として知られる、香取市が生んだ偉人、伊能忠敬。

伊能忠敬記念館では、忠敬の波乱にとんだ人生と、その人生の結晶である伊能図を紹介しています。まず入館して驚くのは、伊能図の精度の高さ!

エントランスに展示されている、床から天井まで一杯・縦横3.5mの大きさで重ね合わされ展示された、伊能図と現代のLandsatによる地図。この二つはほとんど重なり合っており、その正確さに驚嘆の念を禁じえません。これを200年以上前の江戸時代に、歩測で成し遂げたという事実に言葉を失います。

そしてまた驚くのが、忠敬が地図作りに取り組み始めた年齢で、御年実に51歳の時!もともと幼い頃より天文学や算術に強い興味を抱いていた忠敬でしたが、婿養子入りした伊能家の再興を図らねばならず、その商才で財産を築き、家督を息子に譲り隠居してから学問に打ち込めるようになったのが、ようやく51歳だったのです。

その後、幕府天文方(現在の国立天文台)の責任者、高橋至時に弟子入。当時の天文学者の一大命題、「地球の大きさを測るため、緯度1度の距離を求める」に取組むために、江戸から蝦夷(北海道)の距離を測ろうとしたことが、地図作りの始まりでした。

ところで当時の天文学の主要な役割は、暦を司るという事。正確な時刻を管理し、暦を編纂するという事は、農業を始め世の中全体を統治する、国家の最重要任務でした(※1)。

忠敬は55歳から71歳に至るまで、10回にわたり全国を測量。今のような交通機関はありませんから、その困難は想像を絶します。導線法という測量術をベースに、誤差を交会法、さらに天文学者として星の位置を常に測ることで修正し、正確無比な地図を作り上げました。その正確さは当時の先進地、ヨーロッパの国々をも驚嘆せしめ、明治以降も地図の基本となるほどでした。

生涯に歩いた距離は実に4万km、地球1周分に及ぶとされています。情熱と信念の人、伊能忠敬。その業績を見るにつけ、人生、何かを始めるのに遅いということは無いと、勇気づけられる思いがします。

※これについては、初めての日本独自の暦法を編み出した渋川春海を描いた小説、冲方丁の「天地明察」などをあわせてどうぞ。

伊能忠敬記念館:
所在地:千葉県香取市佐原イ1722-1
​休館日:月曜日、年末年始
営業時間:午前9時~午後4時30分
公式HP→【 伊能忠敬記念館】

香取市:
外浪逆浦に面する千葉県香取市は,東国三社のひとつ香取神宮を擁する歴史ある街。三大小江戸の一つ佐原の街並みは,国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
その他の記事はこちら→【香取市】

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