街の中に、震災の記憶を思う。土浦市中央・パッチワークのレンガ壁
梅と入れ替りに沈丁花が薫り、そこかしこで可憐なコブシや卵の黄身を散らしたようなミモザなどの花々が、その命を高らかに歌い上げる春。
本来であれば、生命の喜びがあふれる只々喜ばしいこの季節は、12年前からこの国の多くの人にとって、ぬぐい難い悲しみをともなうものとなりました。
ここ土浦では、テレビで毎年繰り返されるような甚大な被害こそ少なかったものの、それでもやはり多くの建物が壊れました。それにともない、生活が著しく変化してしまった方々も、少なからずおられることでしょう。
そのことを忘れないために、震災で失われてしまった風景を、毎年思い起こすことにしています。そこで今回ご紹介するのは、かつて土浦市中央にあったレンガの壁面。
レンガ蔵の壁面と一体化し水平に続く壁は、様々な種類のレンガや大谷石等が入り混じり、見事なパッチワークさながらでした。腰の高さに設置されたL字型の金具・折れ釘がアクセントとなり、街中のさりげなくも素敵な風景として、日々好もしく眺めていたものです。
自分がもしバンドをやっていたならば、ラモーンズよろしくライダースジャケットを着こみ、この壁の前で動画撮影していただろうな…などと思う、格好良い壁でした。
しかしながら、これらレンガ造の構造物は耐震性が低く、この蔵や壁も大きく被災。傷んだまま数年間が経過した後ついに取り壊され、今ではその面影は残っていません。
自分自身は、幸い(という言葉を使うのも、この事象の前にはばかられるのですが)大過なく乗り切ることができたからこそ、この国が・数多の人たちがあの時感じた痛みを忘れたくない。この季節が巡りくるたびに、そう思います。
壊れた壁の下から生み出された新しい風景が、どうかこれからはずっと、幸せな記憶とともにありますように。震災を境に変わってしまった街中の風景を見るたびに、歩きながら、そう祈っています。