終戦の夏に、幾千幾万の無念を想う。阿見町・予科練平和記念館2
【NEWSつくば連載 日本一の湖のほとりにある街の話vol.02】
※既にご紹介した同施設ですが、終戦の日を目前に控え、改めて同館学芸員の豊崎さんにお話を伺いました。以下、記事になります。
第一次世界大戦以降、戦略上・航空機の重要性が増すにつれ、多くのパイロットが必要となりました。そこで、より若い内から育成することで、優秀な人材を養成しようとしたのが飛行予科練習部、通称「予科練」です。そこでは発足当初、全国から集められた14~17歳までの優秀な少年たちに飛行の基礎訓練が行われました。
阿見町には大正時代末期に霞ヶ浦航空隊が設置されており、その後昭和14年に神奈川県横須賀市から、この予科練が移設されました。こうして軍事上の一大拠点となった同町の歴史を伝えるべく建設されたのが、今回ご紹介する「予科練平和記念館」。同館学芸員の豊崎さんにお話を伺いました。
館内は「予科練」の代名詞であり、少年たちの憧れであった制服「7つボタン」にちなみ、7つの展示室により構成されています。壁面の集合体で構成された館内は、至る所から空が見える印象的な空間となっているのですが、これはかつて予科練生たちが憧れ、昔も今も変わらない「空」を見せることにより、今日の平和について想いを巡らせてほしい、との設計意図だとのこと。
この特徴的な空間の各所に、昭和を代表する写真家・土門拳による写真が配置され、厳しい訓練の様子や、つかの間の休息時のあどけない表情など、予科練生の日常を浮かび上がらせています。
「入隊」から「特攻」までで構成された7つの展示室では、入隊に当たっての少年たちの心情や、予科練での厳しい訓練の様子、訓練の合間のつかの間の憩いのひと時、そして予科練を卒業し、さらに厳しい本格的な飛行訓練へと移行していく様子が展示されます。
ところで兵隊というと屈強の体格を想像してしまいますが、ここに集っていたのは少年たち。合格に達する体格の基準は150センチ後半程度だったとの事で、実際の教室を再現した教室の椅子や机の小ぶりさからも年端もいかぬ子供たちであったことが実感され、胸が締め付けられます。
展示は進行とともに次第に緊迫の度合いを高め、終戦の年、昭和20年6月に起こった「阿見・土浦大空襲」を再現する展示を経て、最後の展示「特攻」へ至ります。暗い室内の壁面に、予科練生の命を示す小さな灯りが無数にともり、特攻の映像が流れます。映像が進むごとに、次第に減ってゆく灯り。予科練生を経て戦地へ赴いた2万4千人のうち、実に約8割の1万9千人が特攻等によりその命を落としました。
「1万9千人」。文字にすればたった5文字ですが、その一人一人に愛する人や、夢見た未来があったでしょう。全ての灯りが消え室内が闇に閉ざされると、悲しみや虚無感とともに、言い知れぬ怒りが湧いてきます。
「戦争は、決して遠い昔の話ではない。70数年前に戦争を経験した方々がおり、その時代があって今という平和な時代がある。そのことに、展示を通して想いを馳せてほしい」豊崎さんはそう語ります。終戦の夏。少しでも多くの人に、この展示が語るメッセージに触れて欲しいと思います。
本記事は、NEWSつくばにて連載のコラム「日本一の湖のほとりにある街の話」第2回記事です。
元記事はこちら→予科練平和記念館 《日本一の湖のほとりにある街の話》2
予科練平和記念館:
所在地:茨城県稲敷郡阿見町廻戸5-1
電話:029-891-3344
公式HP→【予科練平和記念館】
阿見町:
霞ヶ浦西浦の南岸に位置し,大正11年の霞ヶ浦海軍航空隊開設により,予科練の街として知られるようになりました。現在は茨城大学,東京医科大学など学生の街となっています。
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