生涯不敗の剣聖!鹿嶋市・塚原卜伝

延徳元年(1489年)、鹿嶋市に生まれ、生涯不敗を誇った「塚原卜伝(ぼくでん)」。「鹿島新當流」(かしましんとうりゅう)の開祖にして、同時代の上泉信綱とともに、剣術を極めた剣聖としてその名を知られています。

鹿島神宮の神職を生家とする卜伝は、実父より鹿島神流を、養子に出された先で香取神道流の剣術を学んだ後、17歳で武者修行の旅に出ました。修行の果てに奥義「一之太刀(ひとつのたち)」にたどり着き、その生涯に臨んだ37回の戦場では、212人の敵を切伏せつつも、自身はわずかな矢傷のみで刀傷を負うことはなかったそうです。

卜伝の姿は、無惨絵で有名な江戸時代の絵師・月岡芳年による、いわゆる「鍋蓋試合」の作品でも知られています。これは、若き日の宮本武蔵が食事中の卜伝に切りかかったところ、とっさに卜伝が鍋の蓋で剣を受けた、とされるもの。

しかし卜伝の没年は1571年であり、武蔵は1584年生まれとされていることから、この逸話はあくまでフィクション。剣聖同士のドリームマッチ、実現していたらどのようなものだったのでしょうか?興味が湧くところです。

卜伝の墓は鹿嶋市・梅香寺跡に残っており、今でも武を志す人たちの信仰が篤いそうです。勝負事の前に、剣聖のご利益にあやかってみてはいかがでしょうか。

塚原卜伝の墓:
所在地:鹿嶋市大字須賀503

鹿嶋市:
北浦東岸に面する鹿嶋市は、大和朝廷の東国攻略拠点・鹿島神宮を中心に、古来より栄えてきました。現在は、サッカーJリーグの鹿島アントラーズ本拠地としても有名です。
その他の記事はこちら→【鹿嶋市】

関連記事一覧