明るい心は天をも照らす。美浦村・大宮神社

美浦村文化財センターから陸平貝塚公園を進み、竪穴式住居を通り過ぎたさらに奥。旧信太庄安中二十四ヶ村の総鎮守・大宮神社が、きれいに清められた境内にひっそりと佇んでいます。

大正時代に台風で倒壊した後に、古材を用いつつ再建された社殿は美浦村最大の規模で、各所に施された彫刻も実に見事。創建が西暦650年であることを伝える境内の由来板には、ご祭神である天照皇大神・日本武尊・天太玉命に加え、氏神として「生田長者満盛」という、神社で聞きなれない名前が記されています。

民話(※)によると、この生田長者満盛は、神社創建時の安中の村長とのこと。満盛が村を治めていたある年の秋、田畑の収穫時期に長雨が続き、作物の収穫ができず、食料をめぐる争いが起きるほどになりました。

そんな折、雨に悩む満盛のもとに女性が現れ、「悩んでいても良い知恵が浮かぶものではない」と言うと、外で歌い踊り始めたのだそう。その様子を見た満盛と村人は、最初は戸惑いつつも、次第に女性の楽しげな様子に感化され、皆で夜通し踊り続けました。

その明るい様子が天に届いたのか、いつしか雨は上がり、女性は消えていたそうです。これを受け満盛が、太陽を司る天照大神をこの地に奉ったのが、大宮神社の起こりなのだそうです。

霞ケ浦を見下ろす高台の上、鎮守の杜に囲まれて、現在も大宮神社は静謐な神々しさを漂わせています。

※『ふるさと美浦の昔話』(美浦村・美浦村史編纂委員会発行)より

大宮神社:
所在地:〒300-0404 茨城県稲敷郡美浦村土浦外十六大字入会字岡平1-3

美浦村:
霞ヶ浦西浦の南岸に位置し、日本考古学の原点である縄文遺跡・陸平貝塚が発見された美浦村。日本競馬会の中心地、JRA美浦トレーニングセンターがあることでも有名です。
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