震災を振り返る。定食屋「魚金」の思い出
11年。あの未曽有の大災害は,実に一昔以上前の事となってしまいました。
あの頃,まだ乳飲み子だった我が子はすっかり大きくなり,私の背に迫るほどになりました。当時高校生だった現在の同僚たちは,今では可愛いお子さんと遊ぶよきパパとなった人,素敵な伴侶を得て新生活を始めた人と,それぞれの道を歩み始めています。そうした風景に,復興に向けられた様々な人たちの努力と,時間の持つ癒しの力を感じずにはいられません。
しかし,あの日を境に,街の中から消えていったものも数多くありました。倒壊した建物,壊れてはいないものの,いつのまにか畳まれてしまったお店。「ご先祖から受け継いだ建物を壊すのは忍びないけれど,費用がどうしても工面できない」そう言って,代々受け継がれてきた建物を,泣く泣く取り壊された方々の声が今でも耳から離れません。
そうした記憶を忘れないために,今回は土浦市桜町にあった,とても風情ある魚屋兼定食屋「魚金」の思い出をご紹介します。
鯛があしらわれた横長の大きな看板のそのお店は,新鮮な魚を提供する魚屋さんと併せて,実に美味しい定食屋でもありました。
当時は入庁して日も浅い頃。刺身定食などおいそれと食べられるものではなく,給料日の直後など,懐の温かい際に訪れるのを,ささやかな楽しみにしていました。
客席は「田舎のおばあちゃんの家に遊びに来たよう」と形容するのがぴったりの座敷で,隅に置かれた仏壇と,そこからほのかに漂うお線香の香りが,むしろ風情を感じさせました。新鮮なお刺身と,魚屋さんならではの濃厚なアラ汁の定食。添えられたぬか漬けもさっぱりと美味しく,私にとって理想の定食屋だったのです。
しかし,震災の混乱の中で店は閉ざされ,街に徐々に平穏が戻っていった後も,再びその扉が開かれることはありませんでした。
あの時まだ若手だった私も,今では完全に中堅の領域。あの時壊れてしまった以上のものを,これから私たちが作らなければならない,まさにそういった世代です。あのお店のような,安心感と心地良さを感じさせる街を,どうやって作り出し,次代に継承していくのか?役人として,大人として,私に課された重い重い命題です。
今はとにかく,少しでも早く・少しでも多く,今も続く素敵な場所をつなげ,紹介し続けていく。ちっぽけではありますが、それが私にできる,私なりのミッションであると思っています。