そして少年達は大空に散った。阿見町・予科練平和記念館
第二次大戦時、戦略上・飛行機の重要性が増すにつれ、多くのパイロットが必要となりました。ところがパイロットには優秀な技術、屈強な体力と精神力が必須、徴兵した人員では数が追いつきません。
その解決のために設立されたのが、海軍飛行予科練生養成機関、通称「予科練」。14・15歳の少年を3年ほどでパイロットへ養成する、というものでした。
昭和14年(1939年)、横須賀から予科練が移設されることにより、茨城県阿見町は軍事上の重要拠点となりました。その歴史を伝えるべく建設された「予科練平和記念館」は、少年たちの入隊から出撃までを、つぶさに伝えるものとなっています。
館内は、予科練生の制服「7つボタン」にちなみ、7つのエリアにより構成されています。少年たちの訓練の日々が伝わるよう工夫された展示物と、写真家・土門拳による写真は圧巻。厳しい訓練の様子や、つかの間の休息時に覗く少年のあどけなさ、出撃に際しての悲壮な覚悟…それらが胸に迫る迫力で伝わってきます。
全国から厳しい試験を経て集められた優秀な少年たち。飛行にあたっての基本教育の後、通称「赤トンボ」と呼ばれる練習機による訓練、そして3年程度でパイロットとして戦地に送り出されました。
しかし、戦局の悪化にともない、軍司令部は様々な特攻作戦に傾いていきます。零戦による特攻、人間爆弾「桜花」、そして人間魚雷「回天」…。いずれも出撃したが最期、生きて帰ることはできない非道な作戦でした。
部屋を進むにつれ、次第に展示は悲壮感を増していきます。兵役に就いた予科練生2万4千人のうち、実に約8割の1万9千人が戦死。展示された、出撃前に母親に宛てた手紙を前に、涙とやりきれない思いを禁じえません。
価値観の基準は、時代により移ろう曖昧なもの。ですが、未来ある若者の命を、年長者の都合によりいたずらに奪うことは、絶対悪と断ずべき愚行です。
展示を通し、多くの先達の犠牲により成り立っている今日の平和の有難みが、胸にこみ上げてきます。同様の愚行を二度と繰り返さないために、是非ご覧になることをお勧めします。
予科練平和記念館:
所在地:茨城県稲敷郡阿見町廻戸5-1
電話:029-891-3344
公式HP→【予科練平和記念館】
阿見町:
霞ヶ浦西浦の南岸に位置し,大正11年の霞ヶ浦海軍航空隊開設により,予科練の街として知られるようになりました。現在は茨城大学,東京医科大学など学生の街となっています。
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